創業者である父は、新しいもの好きで、町内で一番早くテレビを買うようなタイプでした。車は当時の花形、日産ダットサンのピックアップ。
何故か私には父が仕事をしているイメージがありません。逆に母は働いている姿しか思い出せないんです。
母の一番の自慢は、町内で一番早く起きて仕事をしているということでした。メッキには乾燥がつきもの。おが屑を使って火をたくのですが、これが中々火がつかない。だから朝の4時には湯を沸かし始めるんです。
そんな父と母のもとで育った私は、大学の受験勉強に疑問を抱きながらも、合格して東京で遊ぶぞ!の一心で上京。毎月10万円の仕送りをもらい、なんとも贅沢な学生生活を過ごしました。
将来を真剣に決めなければならない時期に到っても、進みたかったデザインの世界で認められることなく、また、そこに対して熱いものも特にないまま、3年のところ6年かけて卒業しました。
本は良く読みましたが、それ以上によく遊びました。
そんな心の定まらない日々の中、出合ったのが坂口安吾の「堕落論」です。
人間は堕落する。でも、墜ちるところに墜ちて、初めて真実の自分を発見し、救われる。
人間は堕落はしても、決して堕落しきれるものではないということを知った時、なんだかとても楽になりましたね。
眠りながらうなされている親父を思い出し、「孤独なんだな。」「経営って大変なんだろうな。」と感じたのですから不思議なものです。
仕送りをもらい、遊んでばかりいないで、伊那に帰り、助けてあげなければと目が覚めました。自ずと道は決まったのです。
2歳の時に養子として川上家へもらわれてきたことを知ったのは高校生の時。親父とおふくろは本当に良くしてくれました。 |